2020年3月10日火曜日

今日の新聞を読んで(348):大震災から9年、被災者の苦しみ、復興事業の難しさ


命を守る「事前復興」 串本町進む高台移転
読売新聞 2020.3.7
東日本大震災から9年、新聞、テレビは被災地の復興の状況を流すが、被災者の生活再建、街づくり、復興事業の厳しさが「これほど大変」なことが目の当たりにする。

復興事業の「現実とのギャップ」は今後発生する首都直下地震、南海トラフ巨大地震後の復興事業、計画に参考になるはずだ。「次はわが身」としっかり問題をとらえることが重要ではないか。

まず、復興は被災前と同規模の内容でなければならない。「復興したことを示そう」と過大な投資はまずいのだ。「人が戻ってくるか」、「人口減少は?」、「復興事業後の税収入は?」、「設備、建造物の維持管理は?」、「被災者の生活再建は?」。

時の政府は「被災地の復興なくして日本経済の再建なし」(安倍総理の口癖)と被災者、被災地に寄り添う姿勢を見せるが、「甘える」と大変なことになる。

特に東北地方の被災地は「将来は過疎地」と言われていた地域で、専門家の間でも復興事業に注意が必要と警告していたが、政治家はあらゆる要求をのみ、不満を避ける傾向があった。

安倍総理は度毎に福島の被災地を訪れ、街の中心部の復興が順調に進む光景を見て、満足している様子がテレビで流れるが、新聞報道では多くの場所は復興が遅れているし、まだ汚染地域で帰宅できず仮住まいの被災者もいる。

オリンピックの聖火ランナーの通り道は復興輝かしい一部の場所だ。もっと遅れている姿も見せた方がいいのではないかと言う意見もあったようだが、叶えられなかったようだ。

復興事業でのインフラ整備には投資額が大きいが、建設後の維持管理ができるか。

震災でいろんな要求が出て叶えようとするとカネがかかる。当初は交付金などで賄えるが最後は税収で維持管理していけるかだ。新聞報道では被災前の収入が300億円だったが復興事業も加わり1000億円になった。その復興に従い減少し500億円ほどになったが、維持管理費が膨らんで自治体は悩んでいるようだ。採算の取れない施設をどうするか結局は住民の負担になる。

何も過疎地だけの問題ではない。身の丈以上の投資をすれば東京だって同じなのだ。今の東京もオリンピック関連で新しい施設が建設されているが、オリンピック後の維持管理費は莫大で都民の負担になるのだ。

地域開発は震災前の規模、水準を守ることだ。合併などで大きくする場合もあるが、決してよくない。「スモール イズ ベスト」だ。

また、一番の問題点かもしれないが、人が戻ってこないのだ。集まらないのだ。被災者は生活の維持するために転出するが、転出先の生活に慣れてまた新たな場所での生活から離れられないのだ。

新聞によると復旧作業に従事している人やボランテイ活動している人が住み着いてくれないかと考えているようだ。中には気に入って東京から移り住んで仕事をやっている人もいるらしい。

高台にかさ上げ住宅地を整備しても平均で36%は未利用、都市によっては50%前後になるという。4600億円の区画整備事業なのだ。これでは一般の生活を確保する自治組織もできない限界集落になりかねない。

高台の街づくりも中心に駅を建設し、商店、ショッピングセンター、学校、住宅地など整備されるが少し離れると空き地だろう。ニュースではいいとこばかり紹介されるが、不安を抱いている住民は多い。

ところで海岸寄りの従来の生活ゾーン、地場産業はどうなったのか。現場で復興した酒造メーカーなどは紹介されている。新しい設備を入れて再興した事例も紹介されていた。一つの産業が成り立つには、それをサポートする仕事、職人も必要になる。関連企業が集まって産業が成り立つのだ。

問題は被災した地域をどう復興しようとしていうるのか。東北地方の海岸べりは今までも大きな津波被害にあっている。そのたびに住民はどう考え、被災前のような街づくりをやってきたのか、

恐らく、大津波で被害にあっても同じ場所で住居をつくり、仕事をし震災前のような街づくりを繰り返したのではないか。もちろん今と昔では生活様式も文化も違うので被害の程度は大違いで、高度な技術もなかっただろう。その点、復旧も早かったのではないか。

この点は寺田寅彦博士が随筆に書いている。被害にあった時は痛みもわかり規制をかけて町づくりをしたが、時代が過ぎるにしたがい、不便さもあって規制も緩和し、被害にあった苦しみも忘れ、数百年後にまた同じ被害にあっている。その繰り返しだというのだ。

防災工事、防潮堤の建設はいろんな議論があったようだ。高い防潮堤は海が見えず生活に不便だという。住民と話し合って半分の高さにしたという話も聞いた。高さを高くすると防潮堤の低部が広くなる。その大きさには威圧を感じるのだ。

また、防潮堤があれば、昨年のように豪雨が続くと雨水の排水がままならず、住宅地域で浸水が起きるのではないか。どうだったのだろうか。

他に何か新しい試みがされていないか。

読売新聞2020.3.7の「震災9年 和歌山県串本町 進む高台移転」が目についた。「事前復興」がされているのだ。

それによると、串本町は人口16000人、南海トラフ地震で3分で高さ17mの津波に襲われると予測されている。万一の時の復興を事前に提案し移転を進める「事前復興」だ。こうしようとあらかじめ住民に知らせることは大事だ。

ところが当初は批判もあったが、3.11東北地方太平洋沖地震で動きが変わった。海抜53mの高台に災害対策用地や住居区を整備し、防災上必要な機関を移転した。住居も160区画整備した。事前に提案した計画を進めることになったが、住民全員は守れない。高齢者をどうするか。地場産業をどうするかの問題は残ったままらしい。

串本は街の周りに海抜が50m以上の山があり、高台の整備が可能だった。しかし高台に移れない住居、建物、工場、交通施設などは被害にあうだろう。どういう復興事業になるのか。

さらには、防災計画、訓練、防災教育も真剣味を増してきたようだ。ハザードマップも整備されている。福島で災害を経験した被災者が各地を講演して回っているという。経験談は重要だ。曰く「わき目を振らずに高台へ」という。周りのことはどうでもいいから、自分が逃げろと言うのだ。3.11の時も高齢の女性が一人高台へ向かっている姿がテレビに映った。その女性は「親から教えられた通りにやった」と言う。高学年の生徒が低学年の生徒に手を引いて高台へ向かう映像を見るたびに涙が出る。学校で防災教育を受け、訓練していたのだろう。

天災、災害で先人の教えを無視してはいけない。よく自分の住んでいる地域を見ると「これより下には家を建てるな」、「津波到達地点」の教訓が刻まれている石碑も見つかるのだ。昔からあるお寺の境内にも教訓が刻まれているものがあるはずだ。

3月11日や防災の日に限らず、家族で防災について話し合う機会が必要だ。そして、区や町の復興計画がわかれば参考になるが、そこまではできないだろう。


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