2020年3月22日日曜日

NHK事件の涙選で「いじめ」を考える:教育、生活指導で学校、教員の質が低下していないか


22日、NHKで34年前に少年が「いじめ」で自殺した内容の報道を見ることになった。後で調べたら「事件の涙選 葬式ごっこの少年の遺言」だった。「いじめ」が高じ、教室の少年の机で葬式ごっこが始まったのだ。色紙に「さよなら」と書かれ、同級生とどういうわけか教員4人がメッセージを書きこんでいたのだ。

いくら「いじめ」られていたとはいえ、自分の机でこういう光景を見たら誰だって驚くだろう。

同級生の中で誰も「止めよう」といわなかったのか。教員4人が何故参加したのか。こんなことをすれば学校中に「いじめ」が広まるのではないか。

自分の子供や孫がこんな上古湯に置かれていたら我慢できないだろう。学校、教育委員会、児童相談所、警察に相談する。

今回も少年と保護者が学校へ相談したらしいが学校は「どうしようもない。警察に相談したら」といったそうだ。当事者意識に欠ける態度だった。

報道によると、少年は祖父母のところに遊びに行くといって家を出、途中のトイレで包装紙(?)の端切れに遺書を書き命を絶ったという。

「生きている苦しみより、死んで楽になりたい」という意味のことも書かれていたそうだ。そのことを知った記者が「いじめ」を無くそうと経過を調べ本にしようとしたらしいが、肝心の教員4人の供述が取れていなくて断念したそうだ。

34年後その記者が関係した4人の教員に「生きていれば事情を聞かせてほしい」という手紙を送ったら1人の元教員から「今は定年で退職し生活している」という意味の返事をくれて、会いに行くのだ。

やっと会ってくれてその時の心情を聞かせてくれた。「なんとなくフワッとした幹事で書いた」というのだ。反省しているらしい。

34年前とはいえ、どうしてこんなことを。残念なことに今の「いじめ」が絶えない。

教育関係という閉ざされた「村」での事件だ。

学校関係者、教育委員会はどうしても身内の不祥事を公にすることを嫌う。「いじめ」を把握していても外部に隠蔽、自殺しても「関連がない」と主張するが、遺書などで具体的に記されていれば仕方なく「いじめ」「自殺」の関連を認めるなる。

教育一辺倒ではダメということで「ゆとり教育」を重視するようになり、大人になるまでに必要なもろもろのことを教えるということだったが、学力が落ちてきたことで「ゆとり教育」は廃止された。思うに学校関係者が「ゆとり教育」を理解できず、カリキュラムもはっきりしなかったのだ。

今、学校教育はどうなっているのか。

生徒数減少、経費削減で正規教員より臨時教員を採用するようになった。驚いたことに臨時教員が学年担当をしているらしい。

採用試験も成績のいい順に採用するので教え方がうまいかどうか、その他の能力が十分あるかどうかなど関係なさそうだ。

塾に押されて教員による教育もおろそかになっていないか。まとめて問題集と解答集を渡し、何日までに何ページから何ページまで矢って自分で点付けやって提出せよというのだ。宿題だ。その結果は内申書に大きく影響する。

内申書が悪いと公立には合格しないので皆一生懸命宿題をこなす。ダメなら私立ということか。

内申書制度でやっと先生の立場を守っていられるとは気の毒としか考えられない。

ところが今、面白い教育をやっている学校が出てきた。宿題、テストがないのだそうだ。保護者は心配だろうが、かえって学習効果が上がっているという。先生は楽だろうと邪推するが間違っている。宿題やテストのないカリキュラムで生徒の学力を上げるのは大変そうだ。生徒も積極的に活動しているようだ。まとめていく先生の苦労もわかる。

生徒も「いじめ」なんかやってる暇はない。存在感の薄い、貧乏な家庭の子供が「いじめ」をやっているのか。



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