2020年10月5日月曜日

国民の納得する説明、説明責任、調査が何故、できないのか

 何か事が起こるたびに説明が求めれるがその説明責任が果たされず、調査もままならず国民の不満は募るだけだが、何故そんなことができないのか。政治家にとっても説明責任を果たすことで一気に人気が上がると思うのだがそれができないのだ。

政府機関とは独立した日本学術会議が新会員に105人推薦したが官邸は99人しか任命せず6人が入会を拒否された。怒った本人、日本学術会議が理由の説明を求めているが菅総理は「法に基づいて」というだけで逃げる。

中曽根内閣の時に「任命権は形式上」と言っていたらしいが自民党政権は最近でも任命を拒否できるかどうかの検討を行っていたようだ。

法律に欠格事項が記されていないのであればきちんと説明する必要が菅政権にはあるが、そこができない。恐らく「政府に逆らうものは切る」の考えだろう。本音を言ってしまうと國人の信頼を落とすので言えないのだろうが、今回の場合は「任命拒否」より「任命した」方が良かったのではないか。

寧ろ誰も「やめましょう」と言わなかったことにこの菅政権に大きな問題がないか。

安倍政権の時もそうだが、閣僚、自民党議員に不祥事が起きると「ご本人が説明責任をはたすべき」と自らの任命責任を回避する。不祥事を起こした閣僚、議員は「後ほど改めて説明責任をはたしたい」とコメントしその場を繕うがいつまでたっても説明責任を果たすつもりはない。

だから安倍総理自らの「モリカケ問題」でも国会審議で幾度も説明していると考えてのことだろうが、「丁寧に説明している」と安倍さんは言うが、野党、国民の多くは納得していない。改めて国会で野党が追及すると「前に幾度も説明した通り」とピント外れの釈明を繰り返す。

総理ともなると「一度言ったこと」をひっくり返すことは立場上できないのだろう。だから周りが忖度し安倍さんを守ろうとする。「私が関与していることがわかったら辞職する」と言われれば一大事なのだ。

安倍さんの「はぐらかし」説明は海外でも有名になったが、7年も耐えて今もくすぶっている。公文書の管理も含め、民主政治の根幹を揺るがす結果になった責任は大きい。

政治ばかりではない。企業の不祥事、事故原因調査でも同じことが言える。

東電・福島第一原発の事故調査が3つの委員会で実施されたが、新潟県は「いまだ原因が究明されていない」と柏崎刈羽原発の再稼働に難色を示している。

それぞれ弁護士を加えての調査ということで一般には公平性を確保されたとみるだろうが誤解だ。選任される弁護士は依頼者側に立った判断をするものだ。だから飯が食っていけるのだ。

また、必ず捜査権がないので調査も限界という。最初から分かっていることではないか。だったら「受けるな」と言いたい。

不祥事、事故原因には必ず原因がある。そこを潰さなければ再犯防止にはならないが、難しいのだ。


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