2020年5月11日月曜日

疫病祓いのはずの祇園祭が中止に:新型コロナウィルスという疫病をどう祓っていくのか

祇園祭りの山鉾巡行 京都新聞より

新型コロナウィルスという疫病が日本を始め世界に甚大は被害をもたらせている今、疫病祓いで始まった祇園祭が中止に追い込まれる結果になった。御霊会とは、その昔華やかな演劇と読経で当時京都ではやっていた旱魃、基金、地震多発、赤痢や今で言うインフルエンザを恐れ国内に平安を求め祈願したという。

そう考えると今、一番必要な行事である「祇園祭り」だが、その山鉾巡行が中止になったという。人が大勢集まる祭りは外出自粛、社会的距離の確保、クラスター源を回避するために決断だったのだろう。しかし、境内での静かな神事は行われるらしい。

ネットで調べると、中止や延期の繰り返しらしい。応仁の乱では中止、本能寺の変では延期、コレラが流行したときも延期だったらしい。最近では60年ほど前に阪急電鉄の地下鉄工事で中止だ。

山鉾巡行も地元商店街や企業からの動員では成り立たず、アルバイトなどに依存する機会が増え運営も大変らしい。

学生時代を京都で過ごし、八坂神社にも行ったことがあるが境内の説明標識に由来が書いてあり「当時はやった疫病祓い」のために876年に建立されたという意味のことが書いてあったように思う。

当時、800年代後半の京都周辺、日本の自然災害を見ると851年、868年の京都群発地震、864年富士山噴火867年阿蘇山噴火、868年播磨地震、869年の貞観地震など災害が多発していたようだ(「歴史の中の大地動乱」 保立 道久著 岩波新書 2012.8)。

今、2011年の3.11東北地方太平洋沖地震以来、日本も9世紀の動乱期に酷似していると自然災害の多発を警告する専門家が多い。

清和天皇は、天候不順による旱魃、飢饉、咳逆病の流行そして多発する地震を恐れ疫病の神を招き歓待して疫病の停止を祈るため今まで止めていた御霊会を京都神泉苑で復活させ、華やかな演劇と読経で怨念をなだめようとしたが、収まらない。
政治面でも、応天門の炎上の原因が放火ということになり当時、政敵(?)だった大納言の伴善男を本人は否定していたが真犯人として処刑したそうだが、その「怨念」も影響していることも考えられると恐れた。

その上に、彼の死後1年の869年5月26日、貞観地震、津波が来襲し陸奥の国で激しい地震と津波で田賀城は崩れ、災害をもたらした。罪のない百姓を羅災させた。

清和天皇は「この責任はもっぱら私にある」と責任を痛感した。当時の為政者は何かあると自分に負うべき責があるのではと考えるらしい。

清和天皇は退位し、新たに就任した天皇は、疫病を祓うために京都御霊会を催し、876年に祇園社を設立した。此れがルーツらしい。「歴史の中の大地動乱」を拾い読みしたので正確性に欠けるが大方そういう歴史があるようだ。

為政者には「何か不都合」があれば、「自分に責任がある」と考え対応する考えは今の政治家にも必要ではないか。

安倍総理もこの6年間長期政権を維持できたが、国民の安全、生命に関わる事案ははじめての経験で、本当の危機管理が問われるところであるが、今のところ後手後手の対応で国民の批判を受けている。

安倍総理は、政策の失敗で責任を問われても「責任を取れば良いというものでもない」と辞任要求をけん制している。

安倍総理は新型コロナウィルスという疫病をどうやって祓って行くのか。外出自粛要請、休業要請、緊急事態宣言と解除、ワクチン、治療薬開発、その前に実際の感染者数把握での検査件数の増加対策、口先の約束ではなく数値で実績を示すべきだ。

うまくいかなければ清和天皇のように辞任して後を託すべきではないか。トップが替われば体制にも緊張感が出てくる。厚労省や国立感染症研究所など「感染症村」の既得権益者に任せず、あらゆる分野から知恵を出すべきだ。

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