2021年6月4日金曜日

朝日の「五輪記者は考える」を読んで:立場によって変わる対応、「中止」の民意は

 

迫ってくる東京オリンピック開催、国民の民意は80%が「中止」だが、大会関係者の対応は「安全、安心の対応」を前提に開催意向だ。菅政権は「やるしかない。他の選択肢はない」と言う。 

国会審議を見ても尾身会長は「普通じゃない。一体目的は何か」と問いかけるが菅総理は「スポーツの力を世界に発信」と言い、尾身会長の発言を「「対策をしっかりしろ」と言うこと」と問題をはぐらかす。

菅政権の開催強行の背景には、「ワクチン接種促進」→「感染拡大制御」→「オリンピック開催」→「菅政権支持改善」→「総選挙」と考えてみれば身勝手な目標だ。自らのために国民に犠牲を強いる「大きな賭け」に出ているのだ。 

そんな時、朝日新聞(2021.6.4)の「五輪 記者は考える」が目に止まった。オリンピックの関係分野を担当している記者の取材記事だ。 

朝日新聞は5月26日の社説で「五輪中止論」を打った。その後,読売新聞が開催推進を訴え、自民党は「けしからん」という。 

朝日新聞の報道で各分野の関係者はどう考えているのか。 

IOCや組織委員会の発言は世論の反感を呼ぶものばかりだという。そうだろう、IOCバッハ会長は「日本は数々の困難、障害を乗り越えてきた」と評価し、今回もコロナ禍を乗り越え開催できる力がある」と日本を煽て、コーツ副会長は、あろうことか「緊急事態宣言下でも開催できる」と言いだし6月中旬に来日、バッハ会長も7月上旬に来日の予定と言う。 

記者は五輪を推し進める側の姿勢を目のあたりにすると「賭け」に挑む情熱が残っているとは思えないという。 

経済学者は中止した場合には1兆8000億円の損失、東京都は巨額の負担を強いられるというが、組織委員会の武藤事務総長も「開催した方が経済効果がある」と言ったらしい。しかし、一方で「開催したら中止以上の損失が出る」という警告する経営者もいた。

IOCはタダのNPO、責任の所在も明確でなく、驚いたことに安全の確保はアスリートの自己責任と言う「同意者」があるらしい。失敗すればすべて組織委員会、東京都、日本政府の責任か。 

その組織委員会はどうか。 

組織委員会の職員はいろんなことを言われ過ぎて、感覚がマヒしている。コロナ下での大会の意義を誰も言わない。本音は「望まれない五輪は中止」だろう。トンネルの先の明かりではない。開催してもトンネルの中だともいう。記者は「現場の人の努力が報われることを願っている」という。組織委員会関係者でコメントできるのは、橋本会長と武藤事務総長ぐらいで口は堅い。 

東京都庁はどうなのか。 

記者は当初、巨額の予算を必要とする五輪誘致には賛否両論あったが、海外との都市間競争で苦戦する東京の起爆剤になればという思いがあったという。しかし、緊急事態宣言の延長などで海外からの観客は来ない。新型コロナの脅威を目の当たりにすると開催か、中止か迷うという。五輪開催は感染防止からすると間違いなくマイナス、メリット、デメリットを具体的に明示することが議論の出発点ではないかと言う。 

東京都も難しい選択を迫られているのは確かだ。だから発言するのは小池都知事に絞られるのだろう。毎日の記者会見、「やってる姿」を見せつけている。巨大な駐車場をワクチン接種の大規模会場にしようとしたり、代々木公園のパブリックビューイングを中止し、大規模接種会場にしたり、いろんな提案をしている。 

しかし、都議会では都民ファーストの会が「中止論」を打ったが、知事の意向は「中止」ではない。「安全、安心の対策を講じての開催」なのだ。自民党二階幹事長に近いということで二階さんの「中止論」に追随するかと思っていたができないようだ。 

アスリートをまとめるJOCはどうか。 

最近はアスリートが五輪への思いを口にすることさえ許されない空気になったという。記者はもっと早くアスリートの声を吸い上げるべきだったと反省している。 

確かに代表に選ばれたアスリートは大会開催を目指す。そこを強調すると水泳の池尻さんのように批判される。白血病を克服して代表に選ばれたということで苦難な状況にある人達に勇気を与えたいと思ったのだろう。菅総理も「スポーツの力を世界に発信」と言う目的には池尻さんの例が頭にあるのではないか。 

でも体操の大会後内村さんが「どうかできない」とは思わないでほしい。「開催に向け工夫を」と訴えたことには違和感を感じた。おそらく関係者に言わされたのだろう。その一方で、ボクシングの森脇さんの「どっちに転ぼうが頑張るしかない」発言は好感を覚えた。「命に代えてもやりたいと言ってる選手はいない」と言うのだ。

記者は、選手に五輪の先行きさえ問うことをためらうようになったという。アスリートも戸惑いながら日々を送っている。五輪があろうとなかろうとそれは伝えたいという。 

では政治はどう見ているのか。

問題は意思決定の中枢にいる政治家や官僚が現場の懸念と真剣に向き合っていないとみている。無観客の覚悟を決めていたのにいつの間にか有観客に変更になっていた。理由は総理が拘っているからだそうだ。 

組織委員会の職員は疲れ切っている。準備が間に合わない。このまま開催に踏み切れば重大な事故やクラスターが起きるのではないかと嫌な予感がするというのだ。 

円滑な運営には人、カネ、時間がない。「ちゃんとできるのか」と言う疑念は消えないというのだ。 

肝心な医療関係はどうか。 

大会の医療体制は組織委員会は医師,看護師が7000認知度必要と試算しているが今、8割程度の見通しがたっているらしい。しかし、観客の有無など判断基準が示されないままだ。大会運営側と医療側との具体的な議論の機会がない。

記者は、このままだと社会とかけ離れたままの五輪が始まってしまうと危惧する。 

オリンピック招致の目的が当初は「福島の復興を世界にアピール」と言っていたが、いつの間にか「新型コロナに打ち勝った証」となり、今は「スポーツの力を世界に発信」と変わってきた。 

それぞれの目標を世界に発信することが無理になったのだ。だから最後は政治色を失くしスポーツ色にしたのか。それにしても尾身さんが言うように「今なぜ、一体目的はなにか」と言うことになる。

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