2021年6月3日木曜日

朝日新聞(2021.6.2)「最澄に学び共感し合う社会」を読んで

この根本中堂の中に「一隅を照らす」の表示がされていた、

最澄大師が没して1200年、法要が営まれる前に 「「一隅を照らす」現代にどう生かす?」のオンラインシンポが開かれたという。

今は修学旅行と言えば海外、でも昔は修学旅行で京都、比叡山延暦寺を訪れた人は多い。その時、根本中堂を訪れ「一隅を照らす」の標識があり、案内の僧から説明を受けたことがあるだろう。私も経験したが、その時は何のことかよく理解できなかった。しかし、その後何度か京都に行、三千院などを訪れた時に、「一隅を照らす」のことを知った。車でドライブしていると時々「一隅を照らす」の標識の出ている寺を見かけることがあった。おそらく天台宗なのだろう。

新聞では今、社会的にも地位がある人が自分のやっていることが「一隅を照らす」の一環であることを話していた。

でも「一隅を照らす」運動も、やってる人とそれを支える人が重要だ。一人ではできないのだ。アフガニスタンでの人道支援で凶弾に倒れた中村医師も、この言葉が好きだったという。しかし、中村さんも「私は好きなことをやっているだけ」と謙遜し、支えてくれる妻など家族のことを評価していた。

そして、今コロナ禍での災難真っ最中だ。「一隅を照らす」をどう生かすか。

「一人一人が今、自分が置かれている立場で何をすれば一番良いか」を考え、行動することなのだ。それができる人が「国の宝」なのだ。これが最澄大師の教えと思う。

だとすると、一番大事なのは「我慢」だ。コロナに「かからない、他人に移さない」、3蜜回避、ソーシャルデイスタンス確保、室内では換気、飲食などの危険な行為は避ける、不要不急な外出は避ける。人流を抑えることを励行することだ。

「慣れ」「ストレス」など人流を抑えることができない要因になっている。政府、自治体の首長はしつこくテレビで注意喚起するが国民に伝わっているのか。

そりゃそうだろう。国会議員や官僚が夜遅くの飲食、大臣、総理が国民の謝罪している。中川日本医師会の会長は国民に自粛を求めるが自らは政治資金集めのパーテイーに出席、新聞報道では自分の病院でクラスターが発生したという。国民に厳しい要請をしながら自らの立場を忘れてどんちゃん騒ぎか。

国民だって好き勝手なことをやっている。飲食店が閉まると路上での飲酒行為、都庁職員に注意されても一向に応じない。公園に集まりやすいので立ち入り禁止にする。

感染経路が不明な事例が半分以上出ている。おそらく想像はしていても言わないだけなのだ。「言ったらまずい」事例なのだ。

飲食関係者など自粛、休業要請されると文句を言う。だったら自由に営業させる一方でそういう店には行かないようにすればいいのだが、「群れて飲みたい」ために行くことになる。余りにも自分勝手すぎないか。

道徳教育の問題だし、あの「ゆとり教育」を取り戻すべきではないか。社会人として必要な教育をするのだ。「公庫湯の福祉」だってしっかり教え込まないとダメだ。

たかが「一隅を照らす」、されど「一隅を照らす」だ。国会議員が夏休みになると研修を兼ねてが意外に視察に行くが、ほとんどが「物見遊山」で税金の無駄遣い、一層の事全員を比叡山延暦寺で教育のし直しをしたらどうか。

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